|
|
小倉城 |
|
|
|
|
|
|
|
この歴史は戦国末期(1569年)、中国地方の毛利氏が現在の地に城を築いたことから始まり、関が原合戦が終りとともに、細川忠興(ただおき)が入城しました。その後の国替えで小笠原忠真が1632年に入国し、小倉藩は九州の要所として幕末期になると、長州藩を攻める第一線基地となり、熊本藩と共には勇敢に戦いましたが、1866年、自ら小倉城に火を放って戦線を後退せざるをえませんでした。太平洋戦争後は米国に接収されましたが後に返還され、昭和34年に天守閣が再建されました。この天守閣は「唐造り(からづくり)の天守」と呼ばれ、四階と五階の間に屋根のひさしがなく五階が四階よりも大きくなっているのが特徴的です。また、城の石垣は切り石を使わない野面積みで、素朴ながらも豪快な風情にあふれています。 |
↑小倉城の様子 |
Kokura Castle Located near
the Sun Bridge of the Murasaki River, Kokura
Castle was originally built in 1602 by Lord
Tadaoki Hosokawa. Reconstructed in 1963, it
now functions as a museum containing a high-tech "Karakuri" theatre
which depicts the history of the region in
film and animatronics displays. There is also
a panoramic model on display in the Castle,
which shows the castle town as it existed in
the Edo period (1603-1868). Also in the area
surrounding Kokura Castle are the Museum of
History, which has interesting and informative
folk displays spanning the full history of
Kitakyushu, and the Museum of Archeology, which
includes exhibits from prehistoric to medieval
ages, including a model of a dugout earthen
house. Just across the "Sun Bridge" is
the center of the old Kokura quarter, one of
the busiest parts of Kitakyushu. Besides shopping
and observing the daily life of Kitakyushu’s
citizens, one can visit the old residence of
Ogai Mori, one of the great authors of Japan,
who lived here in the Meiji erea (1868 to 1912). |
|
|
|
▲上に戻る |
|
|
|
|
|
|
小倉城庭園 |
|
|
|
|
|
|
|
この歴史は戦国末期(1569年)、中国地方の毛利氏が現在の地に城を築いたことから始まり、関が原合戦が終りとともに、細川忠興(ただおき)が入城しました。その後の国替えで小笠原忠真が1632年に入国し、小倉藩は九州の要所として幕末期になると、長州藩を攻める第一線基地となり、熊本藩と共には勇敢に戦いましたが、1866年、自ら小倉城に火を放って戦線を後退せざるをえませんでした。太平洋戦争後は米国に接収されましたが後に返還され、昭和34年に天守閣が再建されました。この天守閣は「唐造り(からづくり)の天守」と呼ばれ、四階と五階の間に屋根のひさしがなく五階が四階よりも大きくなっているのが特徴的です。また、城の石垣は切り石を使わない野面積みで、素朴ながらも豪快な風情にあふれています。 |
↑小倉城庭園 |
|
|
|
▲上に戻る |
|
|
|
|
|
|
松本清張記念館 |
|
|
|
|
|
|
|
松本清張はあらゆる規範をこえた作家である。日本の文学史上初めて出現した多様にして明確な個性を有する作家ということができる。 芥川賞を受賞した「或る『小倉日記』伝」が本来は直木賞の候補作だったという経緯が示すように、一つの型に分類することが不可能な大きさを持った文学者だった。「脱領域の文学」と評される萌芽を出発から胚胎していたのである。 |
↑松本清張記念館 |
|
|
|
▲上に戻る |
|
|
|
|
|
|
到津の森公園 |
|
|
|
|
|
|
|
いままで大切に守り育ててきた「到津の森」など、周辺の豊かな自然を生かします。
生息地にあわせた飼育空間づくりや観察経路の工夫で、より自然な動物たちの生態を引き出します。
誰でも気軽に快適に利用できるように、エレベータの設置や園路勾配の改良など、バリアフリー化を行っています。 |
↑到津の森公園 |
|
|
|
▲上に戻る |
|
|
|
|
|
|
帆柱自然公園 |
|
|
|
|
|
|
|
街の喧騒のすぐ傍らに海があり、山がある。そんな北九州市の特長を実感できる場所。
それが皿倉山山頂の展望台である。 そこに立てば緑と街と海がすぐ足元から広がっている。
さながらまっ逆さまに落ちていくジェットコースターの頂上にいるようだ。 いい風が吹いている日には"鳥人"に遇えることもある。 夜ともなれば100億ドルの夜景の中で体が宙に舞い、銀河の中を漂っているようにさえ思える。 最新型のパノラマ車輌から眺める景色が素晴らしい帆柱ケーブルで登るもよし。 |
↑帆柱自然公園 |
のんびりと歩いて登るもよし。一気に車で駆け登るもよし。訪れる人それぞれの好みに応じて手段が選べるのもまたうれしい。
帆柱山、皿倉山、権現山などからなる帆柱連山一帯が帆柱自然公園であり、その豊かな自然環境は動植物の宝庫。 皿倉山頂までの代表的なルートは、ケーブルカーとリフトを利用するルートと15景勝を堪能しながら帆柱登山道を徒歩で登るルート、舗装された登山道路を車で登る3つのルートがある。
山頂付近には売店や国民宿舎山の上ホテルがあり、野口雨情詩碑、北原白秋詩碑、皇后杉、フィールド・アーチェリー、キャンプ場、ハイキングコースなど見所、遊び所も多い。 パラグライダーの世界選手権も開催された北側斜面では、いい風の吹く日には優雅に舞う"鳥人たち"に遇えるかもしれない。 |
|
|
|
▲上に戻る |
|
|
|
|
|
|
スペースワールド |
|
|
|
|
|
|
|
北九州にある巨大アミューズメントテーマパーク。宇宙をモチーフにした建物と、体感型アトラクションが楽しめ、時期によってはオリジナルショーや各種イベントがあるので参加するのも楽しい。サービス案内やホテルガイドも行っています。学生・ファミリー・シニアの方など世代や目的にあわせたチケットを各種取り揃えています。また、ネットならではのお得な割引きクーポンチケットもご利用ください。 |
↑スペースワールド |
|
|
|
▲上に戻る |
|
|
|
|
|
|
いのちのたび博物館 |
|
|
|
|
|
|
|
北九州市立自然史・歴史博物館は、伝統と実績のある北九州市立の3つの博物館(自然史、歴史、考古)がー体となり、パワーアップした魅力的な博物館として2002年11月に誕生しました。博物館には世界最大の標本や珍しい化石など貴重な資料が多数展示されています。ここでは展示資料の中から、注目してほしい点などをご紹介します。また、館内には本物の化石や土器片などを実際に手に触れたり体験できるハンズオンコーナーも設けています。
|
↑いのちのたび博物館 |
|
|
|
▲上に戻る |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
魚町銀天商店街 |
|
|
|
|
|
|
|
魚町の名前は江戸時代、玄界灘の魚の荷揚げが行われた「せり市場」であったことからその由来があります。
昭和26年10月にアーケードが完成し、日本初のアーケードを持った商店街となります。
愛称名募集により、「小倉魚町銀天街」として「銀天井に輝く商店街」と謳われ、 日本中の話題となりました。昭和33年に小倉駅が(現在の西小倉駅の位置から)現在地に移転し、さらに北九州の中心的商店街となりました。 |
↑魚町銀天商店街 |
|
|
|
▲上に戻る |
|
|
|
|
|